時々パパ日記

共働きで妻と2歳半の長男と3人、日々の出来事や思ったことを書いています。

プログラミング教育は子どもを進化させるか(4)

学びたい生徒に真剣に教えられる環境を整えて欲しいという話。

前回書いたように、早い段階でプログラミング教育を始めることのメリットは大きいと思う。けれど、メリットがあるということと、実際に実施するという事は分けて欲しいと思う。

スケートで例えるなら、確かに幼少期から習っていれば4回転ジャンプを飛べる確率は上がるだろうし、もしかしたら5回転、6回転と現時点では考えられないレベルに到達できるかもしれない。だからといって、自分の子どもをスケート教室に入れるかどうかは子どもの適正と親の考え方、周りの環境などによって決るものだと思う。

確かに今後の社会では、プログラミングリテラシーの重要度が上がるかもしれない。でも、野球やサッカーの経験だって重要に思える。MicrosoftのCMではないけれど、人生は短くてできることは限られている(だからXBoxで遊ぼうという話には、残念ながらならない)。プログラミングというのは、人生に対する時間的要求が厳しい相手の一つだと思う。映画「ソーシャルネット」では目上からの挨拶を無視してプログラムを続けた社員に「それでいい!」と声をかけるシーンがあるけれど、そういった雰囲気が多分にある。

この「それでいい!」という言葉がプログラミングの一つの価値観を表していると思う。つまり、プログラミングさえやっていればそれでいい、そうでなければプログラマにはなれない。そのくらいシビアな世界だと思う。もちろん、子育てしながらブログの文章ばかり書いている僕も、だいぶ軟派な部類に属している。

このシリーズの1回目で書いたように、プログラム教育が義務化されている中学時代というのはとても難しい年頃だと思う。押し付けられた中途半端な授業が、子どもからプログラミングへの興味を奪ってしまうかもしれない。中学校で初めてプログラミングの授業を受けた長男が「お父さん、プログラミングって面白いね」などと言うようなシーンは想像できない。そんないい子に育ったとしたら僕の教育が失敗したということだろうと思うし、これから厳しさがますだろうと思われる日本で生きていけるか心配になる。今のところ、気に入らないことがあると、すぐに物を放り投げてしまう長男を見ていると、従順でつまらない人間に育つ心配はなさそうだけれど。

(ちょっと飛躍して恐縮だけれど)ドイツのトーマスマンが「魔の山」で登場人物に言わせている「文明とは批判精神から産まれる」という考えはある意味正しいと思う。同じようにプログラミングにも現在の世界への批判という性質が少なからずあると思う。現状のダメなところ、ダサいところを直そうという気持ちがなければモチベーションを持ってコードを書けないと思う。アラン・ケイに限らず、IT業界の有名人の多くは批判精神を大切にしていると思う。もし子どもがプログラミングの世界に興味を持つなら、そういった気持ちを理解して臨んでほしいと思う。間違っても高校進学に必要だから、アルゴリズムを暗記する、などというような光景を見たくない。

ようするにプログラミングというのはホットケーキの作り方とは違って、ちょっと教わったくらいで使えるようになるノウハウではないのだから、学びたい生徒に真剣に教えられる環境を整えて欲しいと思う。

次回で最後です