時々パパ日記

共働きで妻と2歳半の長男と3人、日々の出来事や思ったことを書いています。

妻と仲直り

昨日は長男の寝かしつけのまま眠ってしまって、一ヶ月近く続けていたブログの連投が止まってしまった。妻とは仲直りして、始まるのはまたいつもの一週間。

今まで相当な数の喧嘩をしてきたけれど、僕が悪いこともあれば妻が悪いと思われることもある。どちらに非があるかに関わらず、喧嘩が起こってしまうのは避けられないことだと思う。

根拠は忘れてしまったけれど、人が同じ感情を保つことができるのは15分くらいと言われる。妻と僕の喧嘩自体も長引いてこの程度だと思う。どちらも我が強いタイプで、すれ違うとしばらく言い合って、あとは不機嫌だけが残ってしまう。

三浦綾子さんのエッセイに、「不機嫌は悪だ」といった意味のものがあったけれど、おそらく正しいんだと思う。生理的な感情のぶつかり合いとは違い、不機嫌は意識的に維持され、意識的に表面に出される、もっと自発的な行為という意味で、三浦綾子さんとしては個人の問題としての「悪」という言葉を使ったのだと思う。より人間の本質に近い「罪」という言葉を選ばなかったところに彼女の人に対する希望が読み取れるように思う。

妻とは数え切れない数の喧嘩をしてきたけれど、今までなんとか元に戻ってきた。今後も同じようにいく保証はないけれど、どうもお互い両親から離れて、二人で子供を育てているというのが良かったのだと思う。お互い一人なら感情は数分で去り、不機嫌も数日で去っていく。他人を巻き込むと不機嫌が去った後も、他人へのポーズが残り、どちらかが謝って反省するなどの、明確な理由がないと終幕を迎えるのが難しいように思う。他人が絡むとこのポーズをとりにくい。

それに、こういった事はお互いが忘れるのが一番だけれど、他人に話すことで追認を繰り返すと忘れるどころか自分に都合の良い部分だけが頭に残ってしまい、話さなかった、肝心の反省を促すはずの部分が頭から抜けていってしまう。

相手の良いところを思い浮かべて不機嫌を忘れるといった技は、僕の場合使えた事はないけれど、趣味で写真を撮るのでPCをつけると習慣的に開く写真編集ソフトのLightroomが、無理やり妻の笑顔を画面に映すので、このおせっかいには結構よい効果があると思う。

以前喧嘩した時もそうだったけれど、長男は両親の不機嫌を感じ取って、泣いてしまう。喧嘩中、妻の不機嫌は望むところくらいに思ってしまうけれど、長男が泣くのは嫌だし、情緒的に良い影響を与えるはずはない。

暫くは長男の為に、さっさと喧嘩を収束させる方法を探すのだろうと思う。喧嘩を隠す方法ではなくて。