時々パパ日記

共働きで妻と2歳半の長男と3人、日々の出来事や思ったことを書いています。

子育ての何が良いのかという疑問に対して

一生結婚しないという選択や、あるいは結婚しても子どもを持たないという選択をしている人は多いと思う。それぞれに事情が違うはずだから普遍的な意見といったものは出しようがないと思うけれど、現在2歳半の子どもを持つ身として、また、長い間「多分自分は結婚できないだろうな」と思いながら生きてきた、さえない人間として(さえない状況は現在も変わらない)ちょっと思うことを書いてみたい。

昨日と一昨日の土日は妻が用事で家を空けていたので、まる二日間長男と水入らずだった。平日は忙しい会社に長距離通勤しているので、平日にプライベートな時間はほとんど取れない身としては土日に作業できないと自分のやりたいことの進捗がぐっと遅れてしまう。

結婚しない、あるいはしても子どもを持たないという選択をしている方の場合、時間的な制約を恐れている方も多いと思う。以前の会社の取締役の方にも、そんな雰囲気の方がいた。僕もその気持ちは理解できる。

本題に入ると、人生が一つの抜けることの出来ない人生ゲームだとすると、子育てはコマが前に進んでいると、はっきり実感出来る行為の一つだということ。

一人で生きていて、いろいろな事に挑戦したけれど、自分のコマが前に進んでいると実感出来ることは意外に少ないのではないかと思う。もちろん仕事はその一つなのだけれど、そういやりがいがあって自己実現に近づける的な理想的な職場ばかりではないのは誰でも理解できる事だと思う。それに、一つづつ昇進していって自分なりには達成感を持っていたとしても、それが自分の価値になればなるほど離職に対する不安が強くなるのではと思う。それに、その立ち位置の高さが通用するのはその業種の中だけということも多いのではないかと思う。なにより、数十年前ならともかく、何十社も応募して数え切れない「お祈り」の手紙を突き返されているような就職状況ではそもそも職業に対する価値観が変化しているように思う。また職種による賃金格差の拡大もそういった状況を助長していると思う。

スポーツにしても文化系の趣味でも、どんなに立ち位置を高めても、人生ゲームの中で自分のコマが前進している実感を持てる趣味というのは少ないのではと思う。もちろん、本人の感じ方次第だという意見もあると思うけれど、感じ方も様々な瞬間で変化しうる。金銭に結びつくとまた違うのかもしれないけれど、そこまでいける人間は一握りだと思う。どちらかといえば仲間とか趣味によって生まれた人間関係に重心が移っている方もいると思う。

でも、子育ての場合は、こちらがどんなにサボりたくても、否応無くコマが進んで行くような実感が持てる瞬間が多い気がする。普通の趣味の場合、いろいろな優先順位の中で後回しにしたくなるような状況でも、子どもが泣き出したらすぐに駆けつけないといけない。妻が出かけたら、一日中子どもに付き合っていなければいけない。まさか部屋に閉じ込めて自分の好きなことをするわけにもいかない。金銭的、時間的にはマイナス要因が大きい子育てではあるけれど、子どもは確実に成長してくれる。こちらがサボりたくても、状況による程度の差はあるかもしれないけれど、強制的に手をかけることを要求してくる。その結果がどんどん子どもに反映していく。

子育てを過大評価している気もするけれど、僕の両親あるいは妻の親が長男に向ける感情を見ても、子どもの成長や孫の誕生は、その人の一生の中で肯定感を与えてくれる強い要因の一つだというのが、タイトルの答えだと思う。